*何て間がいいんでしょ*
♪ 嫌だ嫌だよ ハイカラさんは嫌だ 頭の真ん中に さざえの壺焼き
*くり返し*
♪ 止めた思いが 天まで届き 居続けさすよに 降る今朝の雨
*くり返し*
♪ 飛行機 にらんで 地団駄踏んで 銃剣片手に 涙ポロポロ
*くり返し*
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【解説】
明治の頃の世相が出ている唄だと思います。
「酒は正宗 芸者は万竜」というのは 今でいうコピーらしく
万竜という芸者さんは 美人コンテストで第一位に選ばれるほどの
美貌の人だったらしいです。
これは 「笠森おせん」さんも 同じような美貌の人で有名です。
さざえの壺焼きというのは そう見える女性の髪形が流行ったそうです。
同じものかどうかわかりませんが 「二百三高地」という髪型も
日露戦争後に流行ったそうです。
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■解説の補足です■
ブログのお客さまである 迷也さまより 耳寄りな情報を戴きましたので
ご紹介します。
<万竜さんについて>
三越呉服店が広告写真のモデル料に大枚をはたいて惜しまなかったとか・・・
今も赤坂一ツ木通りある書店「金松堂」では、当時彼女を扱った
絵葉書が刷るそばから飛ぶように売れたそうです。
明治28年から昭和8年まで発行された文芸倶楽部という雑誌が
企画した明治40年度の美人投票で9万余票を獲得してトツプ
だったそうです。
9万票ということは、雑誌が9万部以上発行されていたということ
でしょうからその発行部数は当時としては凄い数字になると思います。
客には伊藤博文を始め、当時の名士が引きも切らずの赤坂の名妓で
あったそうで現在の大阪難波にあった富田屋の八千代さん、
京都祇園の千賀勇さんと並んで日本三名妓(ぎ)だと明治40年
発行の「名妓評判記」に記されていたそうです。
<正宗について>
いろいろ説があるようですが、一般的なのが灘の酒、桜正宗の蔵元が
寺に参詣したおりに「臨済正宗(セイシュウ)」の文字を見て
「清酒」と「セイシュウ」の語呂があうと思い名づけたと
されています。
また「名刀正宗」にあやかってつけられたとも言われています。
当時の灘は、六甲山系の急流を利用して水車精米という技術と
宮水という醸造に適した水のおかげで、高品質の酒を大量生産
していて江戸に大量に輸出?するようになっていました。
今のビールじゃありませんけど…「切れのある酒」という意味で
正宗と名付けたといわれているようです。
もう一つは…テレビCMでよく目にする「菊正宗」に代表される
ように「正宗」の文字は100を超える銘柄で使われている
そうですが 江戸時代に「下り酒」といって、上方の酒を江戸に
輸出?していましたその際に 灘の「正宗」という銘柄の酒が
おいしいと評判になったことから 灘の他の蔵でも同じように
「正宗」という銘柄をつけて販売しだしましたそうすると
日本各地の酒蔵も真似て「正宗」の銘柄を使用するようになります。
こうなると「正宗」=高品質の酒 こんなイメージを与えることに
なりますね。
明治に入り登録商標にする際も、当時あまりに「正宗」銘柄の酒が
多かったので一般名詞として登録できなくなりました。
そこから、菊正宗、桜正宗はじめ、すべての「正宗」が「○○正宗」
というように表記せざるを得なくなったそうです。。
酒は正宗…とは灘の酒蔵が販売していたお酒である…そう
受け止めることができます。
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・・・と このように詳しく教えて下さいました。
本当にありがとうございました。
また 補足することがありましたら メールにてお知らせくださいませ。
\(^_^=^_^)/ ヨロシクお願致します。
作詞者が分かっていますから、明治時代の歌謡曲ともいえるんでしょう・・・
二百三高地という髪型を見てきましたけど…
さざえの壷焼きには見えませんでしたねぇ。。
なんとなく。。さざえが隠れる岩場のワカメ?
それを束ねたような感じでした・・
これで鰹もいれば。。アニメの話になりますか(^^!
間がよくてテンポもいい唄だと思いました。。
その頃は 『流行歌』という言い方かもしれません。
ふふふ・・・洒落て戴いてありがとうございます。
この唄は とにかく 明治の香りがするような唄で
私も高座などで良く唄います(^-^)V
初代桂春団治落語集という本を読んでいたら、
「宿屋かたき」という噺の中で、
「ナンテマガインデショ」と出て来ました。
どこかで聴いたフレーズだなあと思ったら、
こちらで聴いた唄だったんですね。
この噺は大正10年代〜昭和初期に出されたレコードだそうで「間がいいソング」は明治以降も流行していたのではないか、と思いました。4番は戦時の飛行機について歌われていますが、飛行機が戦争に使われたのは第一次世界大戦からです。
それにしても本を読んでいて美きえさんの唄声を思い出すなんて、自分でも吃驚しています。
私も詳しい事はよくわからないですが 『間がいいソング』などは 俗曲に分類されて
誰がどのように作ったかもわからない曲のひとつかな?〜と想像しています。
流行っていたのは 明治時代からのような気がします。
そして 世相も十分に反映しているような歌詞が見受けらますねえ。