沖の暗いのに 白帆がサー見ゆる ヨイトコラサ
あれは、紀伊の国 ヤレコノ コレワイノサ
ヨイトサッサッサ 蜜柑船じゃえ
サテ 蜜柑船 蜜柑船じゃサー見ゆる ヨイトコラサ
あれは、紀伊の国 ヤレコノ コレワイノサ
ヨイトサッサッサ 蜜柑船じゃえ
サテ 豊年じゃ 満作じゃ 明日は旦那の稲刈で
小束に絡げて ちょいと投げた 投げた セッセ
枕に 投げた枕に とがは無い
オセセノコレワイサ 尾花に穂が咲いた この妙かいな
ねんねこせーねんねこせ ねんねのお守りは何処へ行った
あの山越えて里へ行った 里のお土産(おみや)に
何もろた でんでん太鼓に笙の笛 寝ろてばよー
寝ろてばよー 寝ろてば寝ないのか この子はよー
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[解説]
願人坊主が踊った(住吉踊り)中のひとつの唄で明治19年頃
9代目団十郎が 豊年斉梅坊主から習得し 舞台にかけたのが
後に広まった。
タイトルの由来は
(1)「私ゃ貴方に岡っ惚れ」が訛ったもの、
(2)恋人同士を意味するカップルが訛ったもの、
(3)合奏を意味する化ぺるを日本人が聞き間違えた、
という三つの説があるらしい。
初代豊年斎梅坊主が得意としていた。
以下は私が調べた司会用の資料ですけど・・・
「かっぽれ」というのは紀州の方言で
“惚れた”ということだそうです。
この唄はみかん船で江戸に乗り込んだ「紀伊国屋文左衛門」の
商魂を讃えた唄で、彼が故郷に帰るや、女という女は一人残らず
男・文佐の格好よさに「私しゃかっぽれた」と
叫んだのが曲名の由来と言われます。
明治の初期から中期にかけて「豊年斉梅坊主」なる人物が
文左衛門が紀州を出発した際と同じ白装束に浅黄色の頭巾
胸には数珠を掛け赤い鼻緒の草履という姿で踊ったのが評判となり
この踊りを九代目・市川団十郎が新富座の舞台に
乗せたため、大流行に拍車をかけたそうです。
私的には江戸、それも
浅草の粋って感じで好きです
コメントありがとうございます。
そうですね・・江戸は『粋』だけでなく『意気』という言葉も連想しますね!!